2021年03月14日

私たちに必要なこと。それは新しい「女大学」を創り上げること。

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最近、日本においてはあらためて「女性の社会進出」を求める声が高まってきています。
少子高齢化の著しい日本において最後の砦は女性だというわけなのです。
そうした時流の中、マスメディアでは連日のように“今、輝いているキャリア・ウーマンたち”が登場しています。

実際、企業経営の最前線に立っていると「女性の方が優れている」と痛感せざるを得ない場面が多数あることも事実です。
採用の場面においては特段割り引いて考えない限り、「選考の結果、残るのは女性だけ」ということになりかねないのが日常茶飯事であったりします。
そしてそうした傾向は日増しに強まってきているように感じます。かつて華僑・華人ネットワークのハイレヴェルの一翼を担う女性の方からこんなことを聴いたことがあります。

「男性は誘惑に弱いから絶対にダメ。少しでもうまく行くと欲望に流されてしまうから。
その点、女性はしっかりしている。誘惑にも負けにくい。
だから華僑・華人の世界では最終的に女性にリーダーシップを任せることがままある」

華僑・華人ネットワークのハイレヴェルが過去に存在した歴代の「王朝」から引き継いできた莫大な簿外資産が現に存在しています。
同女史曰く、その管理権を承継した男性が余りにも典型的な形で誘惑に負けてしまい、直ちに更迭されたのだというのです。

ついでに言うと華僑・華人ネットワーク、とりわけ「客家」の世界では男性と女性のツー・トップで
経営リーダーシップのスクラムを組むことがままあります。なぜそうするのかといえば、男性と女性、しかも後者が前者よりもやや若い世代より選ばれてペアを組むことにより、男性が一人で仕切る時よりも「見えないところを見、気付かないところを気付く」ようになるからなのだというのです。
しかもえてして女性は男性より長生きなのです。必ずしも「事業承継は息子に」という伝統が無い客家の世界では、企業の存続のために節制ある女性の生命力が巧みに用いられているのです(ちなみに誤解無きよう言っておくが、
このようにしてペアになる男性と女性のリーダーたちの間に特殊な個人的関係は一切ない。
この辺が何かと欲望に負けてしまい、かつそれを「良し」とする日本の経営現場とは全く異なるのです)。

話を日本に戻しましょう。最前線で活躍しよう!と意気込んでいる日本の女性たちには本当に申し訳ないのですが、
安倍晋三政権が、「女性の社会進出」にドライヴをかけていたのには隠された訳があったのです。ここでは詳しく述べるのは控えたいと思うが、
要するに太陽活動の激変を根本の理由としながら、気候変動が激化し、
それが私たちの人体において免疫力を著しく低下させることにより、グローバル経済は着実に「デフレ縮小化」に向かっているのです。これはいかんともし難い現実です。

そうした中でこれに何とかして抵抗しようとしている米欧勢の統治エリートたちは1990年代に入り、”窮極の兵器“をマーケットに投入し始めたのです。
それがインターネットです。
そして全てをデジタル化させることで高速処理を可能にし、儲からないのであればその次、さらにその次と、チャレンジすることが可能な経済システムへと世界全体を丸ごと入れ替え始めたのです。
これがデジタル・エコノミーの時代の本格化への序章でした。

ところがこの「デジタル・エコノミー」が曲者なのです。
ソーシャル・メディアやログ解析、そしてA/Bテストといったデジタル・エコノミーでは当然の作業は、余りにも細かく、また持続して行わなければならないものなのです。他方で私たちの人体には波があり、
そうそう自律神経を自らで律することが出来ないものなのです。その結果、延々と続く作業の山に私たちはいつしか埋もれてしまい、
精神と肉体を病む中、ついには命を落とすところまでいってしまうのです。そう人生は、「生命」はデジタルではなく、アナログそのものだからです。

疲れてもう働けない、ということになれば当然のことながら日々の稼ぎは徐々に減っていきます。
依然として日本では都市部に人口が集中する傾向が続いていますが、しかし人間がたくさんいて、それだけマーケットが大きいように見える都市部であればあるほど、そこで働く男性たちの稼ぎは圧倒的に少ないのです。
それもそのはず、都市はデジタル・エコノミーの巣窟だからです。一見すると格好よく働いているように見える若者たちが、大人の目から見ると全く資産を持たず、将来に向けた安定性の確保など考えも及んでいないことは余りにも明らかなのです。

しかし、人間、ある年齢になると恋愛もし、結婚もすます。「母性」に目覚める女性たちはとりわけ適齢期ともなると結婚を志すようになります。ところが今やその「結婚」は下手をすると人生が暗転する大きなきっかけとなってしまうのです。
なぜならば結婚相手である男性の稼ぎが急激に減っているからです。「イケメン」であろうと何であろうと、
結局のところ男性は稼ぎがいくらあってナンボのもの、ではないでしょうか。最初は「イケメン」を追い求めていた婚活中の女性たちもやがてその現実を知るようになり、
「いやちょっと待って・・・」と立ち止まり始めるというわけなのです。実に女性たちは賢い、とりわけ日本においては。

もっとも先ほど説明した「デフレ縮小化」は、究極のところ太陽活動の激変に原因があるため、如何ともしがたいのです。そうである以上、婚活中の女子たちはやがてある段階で決意することになるのです。「私も仕事しなくては。仕事を続けなくては」と。

実に悲劇なのが、こうした日本の女性たちの決断は一面において正しくとも、他方においては重大な落とし穴に落ちることも意味しているということなのです。いわゆる「専業主婦」であれば要するに家事・育児に専念することが出来たわけですが、そうではなくて「職業婦人」の道を選ぶ以上、もはやこれらに専念することは出来ないのです。そして夫=男性と共に今や、不可逆的にマーケットで進みつつあるデフレ縮小化の渦の中に巻き込まれ、妻=女性たちももがき続けることになるのです。日本政府が語る「バラ色の構図」はそこには全くないのであって、むしろ必死、必死、心配ごとの連続なのです。

さらに男性の皆さんにとって不幸なこと重大事が一つあります。それはかつてならば「専業主婦」となることを迷わず選んでいた日本の女性たちが引き続き仕事場で役割を果たし続けるといことは、それだけ彼女たちにとっての「生きる選択肢」が広がるということなのです。そして怖いことにその中には「結婚をしない」あるいは「結婚をしてもそれに拘泥せず、別の道を選択する」という自由が膨らみ続けることも含まれているのです。ましてや自ら職業を引き続き持つようになる女性たちは「出産・育児」という選択肢にすら消極的になり始めるのが常なのです。そして「子はかすがい」とは昔よく言ったものであり、逆に子供の数が圧倒的に少なくなり始めて久しい今、もはや「かすがい」すら存在しなくなった日本の若き夫婦たちは容易に離婚し、女性たちは「ますます輝くこと」を夢見て、実のところ日に日に厳しさを増す経済社会へとその大切な身を投じるようになっているのです。

しかし、それは「何かがおかしい」のではないのでしょうか。無論、私も女性の社会進出そのものに異論があるわけでは全くありません。しかし、そもそも日本における女性の在り方はかつて全く異なっていたのであって、しかもその在り方にはそれなりに意義があったはずなのです。そうしたことについて今一度真摯に考え直すこと無くして、何かに追い立てられるようにして無自覚なまま、そうした「在り方」を投げ捨てることが本当に私たち日本勢にとって得策なのでしょうか。

こう考える時、私は「女大学」を想い出すのです。江戸時代の中期以降に日本で広く流布された女性のための教育書です。その中に「女子の在り方」は概要こう記されています:

(一) 女子は成長して、嫁に入り、夫と親に仕えるのであるから幼少のころから過保護にしてはならない。

(二) 容姿よりも心根の善良なことが肝要で、従順で貞節そして情け深くしとやかなのがよい。

(三) 女子は日常生活全般なに亘り、男女の別をきちんとしなければならぬ、幼少といえども混浴などもってのほか。

(四) 七去の法。(淫乱・嫉妬・不妊・舅に従順でない・家族にうつる病・多弁・盗癖・のある嫁は離縁されるべき)

(五) 嫁いだら夫の両親を実の親以上に大切にせよ。

(六) 妻は夫を主君として仕えよ。

(七) 夫兄弟や親戚を敬愛せよ。

(八) 夫に対して嫉妬心を抱くな、感情的にならず冷静に話し合う事。

(九) 無駄話はするな。人の悪口、他人の悪評を伝えるな、気をつけないと家族、親類の不和を招く元になる。

(一〇)婦人は勤勉でなければならぬ。歌舞伎や、神社仏閣等人の多く集まる場所に行くのは四十歳未満の婦人は好ましくない。

(一一)神仏に頼って祈りすぎてもいけない。人事を尽くせ。

(一二)万事倹約を旨とせよ。

(一三)主婦がまだ若い場合は、みだりに若い男に近づいてはならない。たとえ夫の親戚や下男であっても。

(一四)衣服はあまり目立たず、分相応に、清潔を保つこと。

(一五)夫方の付き合いを重視せよ。自分の親への勤めを果たすときでも夫の許しを得ることが肝要である。

(一六)みだりに他人の家へ出入りするな、普段は使いをやるのがよい。

(一七)召使を置く場合でも、任せきりでなく、自分の労苦をいとわずやるのが、婦人のつとめである。

(一八)おしゃべりな下女は解雇し、しつけはきちんとし、褒美をやるときは、けちけちしないで与えよ。

(一九)主婦の心の持ち方をのべている。従順であれ・怒り恨むことなかれ・人の悪口をいうな・ねたむ・思慮浅くするな。

 

「とんでもない教えだ!」と女性読者たちからお叱りの声が聞こえるのは目に見えています。そう、確かに現代を生きる私たちの目から見るとそうなのです。「女性の社会進出」など全くもって論外だったわけであり、己を捨て、ひたすら家のため、夫のために尽くすのが女性のあるべき道だというわけであるから、現代日本を生きる女性の皆さんが激怒するのは当然なのです。

しかし、「合理的なものは存在し、存在するものは合理的である」のです。現代的な視点から批判を下すのはたやすいが、本当にそれだけのものなのか、「女大学」は一顧だに値しないのかということについては、あらためて検討に値するというのが卑見なのです。それはなぜでしょうか。

19世紀半ばから「オンリー・イエスタデイ」までに至る150年ほど続いた気候温暖期においては経済がインフレ一辺倒だったのです。したがってやればやるほど儲かるというわけなのだから、労働者として、さらには消費者として女性たちの参画は大いにウェルカムだったというわけなのです。平塚らいてふの「青鞜社」もそうした自然(じねん)から始まる経済・社会的なコンテキストがあってのことなのです。有名な「古来、女性は太陽であった」というマニフェストも、実はそうした時代背景の上にあって述べられたに過ぎないのです。

今や、時代は反転しつつあります。上述のとおり、気候は北半球においていよいよ寒冷化し始めています。東京に住んでいると春になったというのに、まともに暖かい日がないまま、事実上「梅雨模様」になってしまっているのです。2016年の夏はラニーニャ現象によって強烈に暑いとの予報が出ているが、「ルシャトリエの原理」あるいは「復元力の原則」に従う限り、それはその次にやってくる秋・冬が”強烈に寒いこと“を示唆しているのです。その時、日本経済、そしてグローバル経済においてはデフレ縮小化が支配的な現象となるのです。

そうである時、果たして日本の女性たちが慌て惑う男性たちと同様に我先にマーケットへと駆け込むべきなのでしょうか。最終的に強烈なデフレへと収斂する以上、いかに男勝りな女性であっても、結局は“無間地獄”となるデジタル・エコノミーの中で煉獄を体験するだけなのではないでしょうか。そうである以上、金銭という意味での幸福とは全く異なるところで、しかも「乱高下」「急上昇」といったインフレ特有の現象の中での自己実現ではなく、「平穏」「中庸」を旨とするデフレの中でのあるべき姿を実現すべく、さらに言えばそこで「心の豊かさ(mindfulness)」をしっかりと守る役割を女性たちこそ果たすべきなのではないでしょうか。そのような見地から、先ほどの驚くほど保守的と思える「女大学」をあらためて見る時、強烈なデフレが続いていた江戸時代中葉までの日本における先人たちの「知恵」、「いわんとしていること」が徐々に分かって来るのではないでしょうか。

無論、私はだからといってアンチ・フェミニストではない。むしろ女性たちの方が遥かに優れた働き手であるということは、ビジネスの最前線に立ち続ける中でいやというほど身に染みて知っています。しかし、だからこそ「もっと新しい在り方があるのではないか、日本の可憐な女性たちには」と思えて仕方がないのです。女性たちにはより自立的であり、かつ自律的であって欲しいと心から想っています。と同時に、彼女たちには「上げ」「下げ」の中で互いに肩肘をつつき合いながら相手を蹴落とすことで力づくでの「幸せの獲得」ではない、「中庸を旨とする落ち着いた心」「平穏さ」を説くと言う意味での”躾(しつけ)“の伝承者として担うべく、すさまじく重要な役割があることも事実なのです。追い立てられるように男性たちと同じ職場に繰り出し、そこで身心ともに疲労困憊してしまっては躾も何もないのです。そうした意味での心の豊かさ(mindfulness)を取り戻すための導き役は、他の誰でもない、生まれながらの「母性」という暖かさを持ち合わせる女性たちにしか果たせないのです。そう、私は強く想っている。







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