2021年03月14日

今だからこそ華僑ビジネスを知り、華僑ビジネスから学ぶ。

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民族集団は世界に2つあります。「華僑」と「ユダヤ」です。後者という意味では政府間会合です。G20を支えるグローバル・ビジネス・リーダーの集まりであり、私はB20を経由して付き合いを持っています。普段はこちらの話をすることが多いと思うので、今回はあえて前者について紹介をしたいと思います。そして私が実際にビジネスを行っていて思うのは、「華僑」といっても二つの集団がいるというを理解することが重要です。

いわゆる典型的な「華僑」とは、清朝末期“までに”何等かの理由で故郷を追われ、中国大陸から飛び出したグループです。いわゆる「五大客家」もそうですが、横浜や神戸などに陣取っている「華僑」もこれに属しています。そしてそこで根付き、出生までした人たちのことを「華人」と呼んでいるこれがまず一つ大きなグループです。ここでは「古典的な華僑」と呼ぶことにしましょう。

そしてもう一つは、天安門事件(1989年)を契機としてパージされ、一旦は中華人民共和国の国外へと逃げた勢力です。こうした勢力は多くの場合、「改革開放路線」の先頭に立って中華人民共和国という意味での”中国“の資本主義化を推進していたものの、天安門事件をきっかけに始まった思想粛清の中で犠牲となり、命からがら逃げ出たのです。その時の子供たちで生き残った者たちは当然、まずは着の身着のままでしたが、徐々に頭角を現し、西側諸国、とりわけ米国で高等教育を受け、現在に至っています。その後、むしろ経済発展のためにこうした者たちが使えると判断した中国指導部は彼・彼女らの帰還を許したのですが、賢いこれらの者たちは決して本拠地を中国本土に設けなかったのです。一族の一部(大抵の場合、共産中国によって人質にとられてしまった「長男」)を北京に根付かせながらも、上海や海南島、あるいは香港といったところにより小規模で移動可能な拠点を構築し、ビジネスを行っています。ここでは彼・彼女らのことを「新しい華僑」と呼ぶことにします。

もっともここでお話ししたいのは「古典的な華僑」にせよ、「新しい華僑」にせよ、その大局的な話ではないのです。そうではなくて、彼らにほぼ等しく共通しているビジネス上の日常的な”振舞い“なのです。読者の皆様、とりわけ経営者の皆様にとって覚えやすい(実践しやすい)ように箇条書きで以下書いていくことにします:

―「世界中に“弊(ぱん)”となるべき人士を求めるが、その際にはその人物が語るロジックをまずはよく見ること」

華僑リーダーと出会った時、彼・彼女があなたのどこを見ているのかというと、肩書や役職、それに家格などでは全くないことに注意する必要があります。むしろあなたが語る言葉がどういったロジックによっているのか、なのです。端的に言うならば「既存の枠組みの外側を考える(think out of the box)」ことが出来るかどうか、“リフレ―ミング”が自分自身で出来るかどうかです。なぜならば、新しいビジネスの種は常にそこからしか生まれないからです。この点をまずはじっくりと見極めてから、彼・彼女らはあなたと付き合うかどうか、そしてビジネス・パートナー(「弊」)の一員とすべきかどうかを判断するのです。

―「最初にビジネスの話は決して持ち出さない。流れの中で”お試し“を軽い形で提案し、相互の人となりを分かり合えるようにする」

華僑、というとすぐにビジネス、しかも金目の話、と思うかもしれませんが、全くそんなことはありません。家格のレヴェルが高ければ高いほど、むしろ真逆であり、会話は社交のレヴェルに終始します。こちらはじらされて仕方がないのですが、実はここで見られているのは「時間感覚が合うかどうか」なのです。この次に述べるとおり、華僑の発想は「囲碁=戦略」です。のに対し、私たち日本人の発想は「将棋=戦術」です。そして戦略のレヴェルで大きなチャンスが生まれることなどそうそうないのです。したがって座して待つことになるわけですが、その間に日本人として耐えられるかどうかが見られているのです。しかもそれが出来るということは、それなりの内部留保があるということも意味しています。笑顔で会話を楽しみながらシャンパンでも飲んでいれば良いのです。

―「“将棋”の仕事は番頭格以下に任せ、自分はあくまでも“囲碁”に徹する」

「囲碁」でいう9つの碁石で作った一つの正方形が、「将棋」の一つの盤に相当します。華僑リーダーたちが見ているのは「囲碁」のレヴェルです。ことに留意しなければならなりません。彼・彼女らが関心を持っているのはそのレヴェルでの場面転換であり、「トレンドの転換」なのです。ところが私たち日本人は往々にしてより細かな局面転換、すなわち「将棋」のレヴェルに拘泥してしまうのです。そうです。からこそ、両者で話が合わないのは当然なのです。他方で華僑リーダーたちが強い関心を持って行うのはそうした場面転換の瞬間にさっと自らの手を行うことであり、一たび新しいフレームワークがそれによって出来れば、後は必ず自分の優秀な部下です。番頭格以下に任せるのです。そしてこのレヴェルと、日本企業のトップたちは結果として付き合わされることになります。それではなぜ華僑リーダーたちが最初はともかく、同一のビジネス・モデル(フレームワーク)の2度目以降は部下たちに任せきるのかといえば、自分たちはより澄んだ頭で新しいフレームワークの構築、すなわちリフレ―ミングに専念するのが仕事だからです。日々のキャッシュ・フローはその意味で任せきるのです。ここが、いつまでたっても「日銭にこだわる」ことを生業と考える私たち日本人の経営者とは全く異なる点なのです。

―「新しいフレームワークを用いたビジネスの最初の1回目は徹底して自分です。」

やや矛盾するように聞こえるかもしれないが、華僑リーダーたちは自らが新しく構築したフレームワーク=ビジネス・モデルに基づいて最初のビジネスが行われる際には、最初から最後まで徹頭徹尾「自分」で行います。最初とはすなわち契約交渉であり、微に入り細に入るところまで口を出し、手も動かします。そしてじっと関係者が想ったとおりに動くかどうかを見、最後にはきっちりと「入金」が行われるか、「着金」したかどうかまで確認してから番頭格以下へと引き継ぐのです。これが「社長は思い付きでビジネス・アイデアを言うが最後までやらず、あとは専務以下がヒーヒー言いながらついてくるものの、ようやくビジネス・モデルが出来上がった時には社長は別のアイデアを思いついている」という、日本のオーナー企業、しかも「2代目」によくありがちな光景は華僑リーダーたちとは全くもって無縁なのです。

―「“弊(ぱん)”における利益配分は徹底して相手と半分ずつにする」

華僑リーダーたちと仕事始めると大変面白いのが、彼・彼女らが常に「利益は折半で」と言ってくることです。日本企業では往々にして「自分たちが創り出したスキームなのだから」と自社が9割の利益を独占するなどし、後は出入り業者とみなしてグローバルなパートナーたちを蔑ろにした利益配分を提案して顰蹙を買うことがままあります。これに対して華僑リーダーたちはこうした日頃の積み重ねが、グローバル・マネーの流れが逆転し始めた瞬間に大きな恨みとなって、時に実力行使(!)を伴って返ってくることを知っているため、絶対にそうはしないのです。あくまでも「利益は折半で」と持ち掛け、相手とは笑顔でシェアをします。もっともそれはその局面だけなのであって、実はその儲け話(ビジネス・シーズ)が流れて来る源流から辿って何人の人々とも華僑リーダーは「利益は折半で」としてきているのです。結果として誰がそこでもっとも儲かるようになっているのかは自ずから明らかでしょう。だが、哀しいことに、私たち日本人は全くそのことに気付かないのです。なぜならば「囲碁」ではなく「将棋」の民なので。。。

―「家族と従業員を徹底的に区別し、前者には利益を最大限享受させ、従業員には決して甘い顔をしない」

儲かっている時に華僑リーダーたちが湯水のようにカネを使うのは血を分けた家族とだけです。ちなみにここでいう「家族」とは配偶者と子供たちだけを指し、それ以外の者たちは余程のことがなければ助けません。金銭貸借などもっての他であり、それを同族に御願いすること自体、もっとも恥だとされているのです。華僑集団において同族のネットワークは「情報交換の場」であり、かつ「自らの成功をひけらかし、プライドを満足させる場」なのです。一方、上記の意味における家族をある意味スポイルするのは、ビジネスで不調になった時、最後に頼りになるのは配偶者と子供たちだけだからです。会社が傾いた時、最後まで命運を共にするほど、従業員は甘くはないのです。したがって従業員には徹底して厳しくし、甘い汁は吸わせません。そのように言うと「従業員の福利厚生は?」という声が読者から聞こえて来そうだが、これに対する華僑リーダーの答えは明確なのです。「仮に自分たちもそのようにしたければ、とっとと“従業員”です。ことを止め、”経営者“になれば良い」全くそのとおりです。ところが日本の経営者たちはというと、常日頃から家族には極力質素にせよと命じつつ、社員には「ハワイ社員旅行」などといった甘い顔をし続けています。ところが業績不振になると真っ先に”右腕“”優秀な社員“から引き抜かれてしまうのです。これに対して華僑リーダーの場合、「お父さん、今はダメだけれども、必ず良くなるよ」と家族から励まされます。なぜなら家族もまた、あらためてあの甘い汁を吸いたいからです。リスク管理、メンタル・ヘルスケアの観点からどちらが正しいやり方かは、自ずから明らかでしょう。

―「フローではなく、ストックにつながるビジネス・モデルに専念する」

華僑リーダーが関心を持っているのはただ一つ、ファミリーの繁栄と存続です。「中国人のビジネス」というと安価で大量の小売販売で大儲けしているように思えますが、実はそうしたことで目立っているのはレヴェルの低い華僑たちです。なぜならばそうしたやり方ではいつまでたっても「自分自身が仕事をしなければマネーを得られない仕組み」しか続かないからです。そうではなくて華僑リーダーが常に意を用いているのは、最初の一撃は自分自身がハンズオンでクロージングあるいは入金までする。けれども、その後は事業パートナーたちからは誰からも笑顔で接せられ、かつ固定収入が定期的に入って来るような「仕組み」の構築なのです。そして日々の仕事は、一方ではそうした仕組みがきっちりとワークしているかをチェックすることだけであり、他方では上述のとおり、極力澄んだ頭でリフレ―ミングを行い、その意味で「面白い人士」と出会い、緩やかにネットワークを構築していくことに専念することになるというわけなのです。あくまでも「日銭」を追い、「銀行融資をもっと受けるにはどうしたらよいだろうか」と経営計画塾(?)に通い、結果、どうにもこうにもならなくなるが、頼るべき社員たちからは逃げられ、家族にも愛想を尽かされている、そんな日本の経営者たちと全く違う光景がそこにはあるのです。華僑リーダーたちにとってビジネスとは「仕組み」であり「ストックを増やす仕掛け」なのです。

―「配偶者はビジネスの現場には入れず、ただし異性のビジネス・パートナーを同格で据え、意思決定も行わせる」

「それだけ大それたビジネスの仕組みを長期にわたって構築するのだから、さぞ事業承継は大変だろう」と思われるかもしれませんが、華僑リーダーにとって実は“事業承継”の問題は無いといって良いでしょう。なぜならばそもそも息子には家族は継がせるが、「事業」はほぼ継がせることがないからです。ここが決定的に日本の企業とは違うところです。もっといえば配偶者であっても絶対にビジネスの現場には入れないのです。家族としてのなすべきこと(family affairs)が多数あるからということありますが、要するに「愛」を基準に選んだ配偶者が当然には最高のビジネス・パートナーではなく、また同時にその「愛」をベースに生まれ出でた子供が当然に最高の事業承継者でもないということなのです。そうではなくて、華僑リーダーはビジネスの現場において配偶者以外の異性のビジネス・パートナーを選択し、その者に自分とほぼ同レヴェルの権限を与えるのです。このように言うと「愛人を据えるのだな」と日本ではしばしば誤解されるのだが、全くそんなことはないのです。確かにブランディングという観点では「清潔感があるタイプ」です。必要があるが、あくまでもビジネス・パートナーなのです。しかも異性なので視点が全く異なり、経営リーダーです。自分自身が気付かないところまで配慮が出来、発想をわかせてくれるのです。この点が華僑リーダーたちと日本の経営リーダーたちが決定的に異なるところなのであって、経営の意思決定レヴェルでのチャネルが一つ少ない分、日本企業が劣勢に常に置かれるのは当然といえば当然のことなのです。

最後に。華僑リーダーたちと交わっている中で常に言われるのが「良い時もありますが、悪い時もありますから」という言葉なのです。やれ四半期業績、通期での売り上げ、周年での評価といった形で追いまくられ、常に「右肩上がりの成長が当然」と刷り込まれている日本の企業現場とは全く違う発想です。ですが結果として世界に冠たるビジネス・リーダーを輩出し、その意味での名声を戴いているのは果たしてどちらでしょうか。―ヴォラティリティがますます激しくなるこれからの時代だからこそ、華僑たちから虚心坦懐に学ぶべきことは多々あるのではないでしょうか。







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